唯一無二のエキゾチックな独特の香味を持ったコーヒーです。スパイシー、ウッドチップ、アーシー(大地の香り)を感じさせる香味が面白く、スッキリした苦味とナッツ系の香ばしさがクセになるコーヒーです。
アイスコーヒーにもオススメです。(ご注文時に「アイスコーヒー用焙煎」をお選びください。)
甘味 |
★★★★★★★★ |
コク |
★★★★★★★ |
まろやかさ |
★★★★★ |
香り |
★★★★★★★★ |
酸味 |
− |
苦味 |
★★★★★★★★ |
★印8段階、オススメ焙煎での評価です。
コーヒー豆 データ
エリア |
カルナータカ州マンガロール |
乾燥エリア |
マラバール |
品種 |
アラビカ(S795など) |
プロセス |
アンウォッシュド・モンスーニング |
標高 |
1350〜1450m |
オススメ焙煎 |
深煎り |
エチオピア、イエメンに次ぐコーヒーの歴史を持つインド
紅茶のイメージが強いインドですがコーヒーの歴史は古く、コーヒー発祥の地であるエチオピア、飲み物としてのコーヒー発祥の地であるイエメンに次ぐ、3番目に古い歴史を持っています。インドにコーヒーが伝わったのは1600年代で、インド出身のイスラム教聖者ババ・ブタンが南イエメンへの巡礼後に持ち帰ったとされています。当時、イエメンのコーヒーは持ち出しが一切禁止されていましたが、ババ・ブタンは厳重な監視下の中で7粒のコーヒーの種を衣類に包み、インドに持ち帰ることに成功しました。インド南西部のマイソールに植えられた7粒のコーヒーの種ですが、1つだけが発芽し、そこからインドのコーヒーの歴史が始まりました。その後、ヨーロッパへの輸出を想定した大々的なコーヒープランテーションが行われるようになります。この時に伝えたコーヒーはオールドチックと呼ばれる栽培品種だとされており、1820年以降まで栽培されていたものの、世界的なコーヒーさび病の発生により残念ながら現在は残っていません。1861年にウガンダやエチオピアで発生したコーヒーさび病は、1868年にスリランカ、インドにまで伝染することとなり、たったの2週間でコーヒー農園が全滅するほどの被害をもたらしました。これが原因でスリランカやインドではコーヒー栽培をあきらめ、紅茶栽培へとシフトしていきました。
一方、ババ・ブタンが持ち帰ったオールドチックの子孫が絶滅する前、1696年と1699年にオランダ人によってインドネシアに伝えられたコーヒーは、インドのマラバールで入手したものだといわれています。もし、それがオールドチックであるならば、世界中に広がる現在の多くのコーヒー(ティピカ、マンデリン、ハワイ・コナ、ブルーマウンテンなど)が、この子孫にあたるという可能性があります。これらを検証する手段はありませんが、なんとも歴史ロマンが広がる話ではないでしょうか。
黄金のコーヒー豆・再び
18世紀(1700年代)、南インドではプランテーションによるコーヒー栽培が盛んに行われ、コーヒーの一大産地となっていました。当時、インドからヨーロッパにコーヒー豆を輸送するには、アフリカ大陸の最南端である喜望峰をまわり、大西洋を北上するルートしかありませんでした。上質なコーヒー豆は木製の帆船に積みこまれ、半年以上にも及ぶ長い航海を経てヨーロッパへ運ばれていました。長い航海中に船倉に保管されたコーヒー生豆は、湿気を含んだ潮風によって時間をかけてゆっくりと熟成され、通常の生豆より大きく膨らみ、黄金色に変化しました。ヨーロッパの人々は、エキゾチックで独特の風味の黄金色のコーヒーに魅了されました。時代は移り、蒸気船の時代になり、スエズ運河が開通すると、航海日数は大幅に短縮され、この黄金のコーヒー豆は姿を消しました。あの黄金色の姿とエキゾチックで独特の香味を持ったコーヒーを復活させるべく、インドの南西海岸に面するマラバールで、アラビア海から吹きつけるモンスーンを利用し乾燥させたコーヒーが、この「インド モンスーン アラビカ マラバール モンスーニング プロセス」です。
一方、ババ・ブタンが持ち帰ったオールドチックの子孫が絶滅する前、1696年と1699年にオランダ人によってインドネシアに伝えられたコーヒーは、インドのマラバールで入手したものだといわれています。もし、それがオールドチックであるならば、世界中に広がる現在の多くのコーヒー(ティピカ、マンデリン、ハワイ・コナ、ブルーマウンテンなど)が、この子孫にあたるという可能性があります。これらを検証する手段はありませんが、なんとも歴史ロマンが広がる話ではないでしょうか。
モンスーニング・プロセス
インド南部中央に位置するマンガロールで収穫したコーヒーチェリー(果実)をパーチメント(内果皮)が付いた状態で、インド南西部のアラビア海に面したマラバール海岸に運びます。モンスーニング・プロセスは、まず風通しの良い倉庫でレンガやコンクリートの床に7〜15cmの厚みにコーヒー豆を広げ、6〜9月に吹くアラビア海からの湿気を含んだモンスーン(偏西風)に4〜6日曝すことから始めます。時々かき混ぜることで、モンスーンの湿気にコーヒー豆が均等に曝されるようにします。その後、コーヒー豆を麻袋に詰めて一定の間隔を空けて均等に並べます。この一定の間隔を空けることが重要なポイントです。麻袋の間に空気の通り道をつくることで、コーヒー豆を高湿度の環境に曝すことができ、効果的にコーヒー豆を曝気させることができます。喜望峰をまわりヨーロッパへコーヒー豆を運搬していた当時の船倉を、ここに再現しているという訳です。週に1回程度の割合でコーヒー豆を麻袋からだし攪拌し、また、麻袋の配列を入れ替えることで、コーヒー豆のモンスーニングを均一化させることも高品質なモンスーン・コーヒー作りには重要なポイントです。6〜7週間が経過する頃には、水分を吸収したコーヒー豆は大粒で綺麗な黄金色へと変化しています。このように精製処理されたコーヒーは、唯一無二の個性的な香味を持ったモンスーン・コーヒーとなり、欧米など中心に多数の国で愛飲されています。
近年、インドの研究グループによると、モンスーン・コーヒーは「果実から生豆を精製するまでの保存期間に生じる変化」だと報告されています。収穫されたコーヒー果実は外果皮と果肉を除去され、パーチメント(内果皮の付いたコーヒー生豆)の状態で麻袋に詰められ、しばらく置かれることになります。この時、パーチメントにはミューシレージと呼ばれる果肉の粘液質が付いた状態のコーヒー豆となります。高温高湿の状態で並べられたコーヒー生豆は発酵が進み、水分含量も通常よりも上昇します。これによってコーヒー生豆は大きく膨らみ、また発酵に伴って、あのエキゾチックな独特の香味が生じます。発酵を進ませるいう点においては、パルプド・ナチュラル・プロセスやナチュラル・ワイニー・プロセスとやや似た部分も持ち合わせています。モンスーニング・プロセスは、モンスーンの吹く季節に収穫乾燥させたインド南西部だけが可能な特殊な精製処理です。